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「聖十字架伝説」

 「聖十字架伝説」とは、キリストが磔刑に処せられた十字架の木にまつわる伝説で、旧約聖書のエデンの園から始まり、7世紀の東ローマ皇帝ヘラクリウスの時代にまで及ぶ、壮大な歴史的長編ドラマです。
 その内容は13世紀にジェノヴァの大司教であったヤコポ・ダ・ヴァラジネ(1230年頃〜98年)が集大成した中世の聖人伝「黄金伝説」(Legenda Aurea)に収められています。
 
 ごく簡単に言えば、アダムの墓に生えた木が、ソロモンとシバの時代を経て、キリストの十字架となり、ローマ帝国のエピソードをはさんで、東ローマ帝国のヘラクリウス帝がペルシアのホスロー王から十字架を取り戻し、エルサレムに返還されるまでが描かれています。
 何と壮大、かつむちゃくちゃな歴史設定かと思いますが、この物語が作られた頃の中世の知識人の歴史観というものがよく現れていて、なかなか興味深いものです。

 ピエロ・デッラ・フランチェスカは、この物語の15の場面を10の画面に分けて、アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂内陣の三方の壁面のそれぞれ上下3段に展開しています。
 以下、実際の壁画に描かれた内容に即してあらすじを紹介します。

1.アダムの死(原罪)
 エデンの園を追放された後、年老いて病に倒れたアダムは息子のセツをエデンの園の大天使ミカエルのもとに遣わし、病を癒す「憐れみの木の油」を求めさせます。しかしセツが戻ったとき、アダムはすでに死んでいたので、エデンの園から持ち帰った木の枝をその墓に植えました。
 ソロモン王は成長したその木を宮殿の建設に使おうと切り倒しますが、寸法が合わなかったので、木はエルサレムの川に橋として架けられました。

2.シバの女王(聖木の予知)
 ソロモン王の知恵を噂に聞いたシバの女王はエルサレムを訪れる途中、この橋の前にさしかかりました。ところが、彼女はその橋に脚をかけることを断固として拒否します。それはその橋、つまり聖木の将来の用途に胸騒ぎがしたからです。すなわち、その木は十字架となり救い主がこの木に磔にされることを予知し、跪いて礼拝します。そしてソロモンに忠告したのです。

3.聖木の運搬
 シバの女王の忠告を聞いたソロモン王は、ユダヤ人の王国に終末をもたらすかもしれないその橋を取り除かせ、地中深く埋めさせました。しかし後に、神殿に捧げる生け贄の獣を洗う池を掘った時に木は水面に浮上し、シバの女王の予言通りその木で十字架が作られ、キリストの受難の道具となったのです。

4.コンスタンティヌスへの告知
 キリストの受難からもすでに3世紀もの時が流れました。エルサレムも破壊されてしまいました。ローマ帝国の統治権をめぐって、第二副帝コンスタンティウス1世の息子コンスタンティヌスは、第二正帝マクシミリアヌスの息子マクセンティウスと雌雄を決する「ミルヴィオ橋の戦い」に臨みます。
 決戦前夜、コンスタンティヌスは夢に現れた天使から「十字架の印を戦陣に掲げよ」という神のお告げを受けます。

5.コンスタンティヌス対マクセンティウスの戦闘
 お告げに従ってコンスタンティヌスが馬上から黄金の十字架をかざして進軍すると、マクセンティウスは自分でかけた罠にはまり、溺死してしまいました。奇跡的な勝利をおさめたコンスタンティヌスは、晴れてローマ帝国の新皇帝となります。

6.ユダの拷問
 313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の母ヘレナは熱心なキリスト教徒で、聖十字架を探すためにエルサレムに巡礼します。
 聖十字架の隠された場所を知っていたのはなんとユダという男でした。しかし、ユダは隠し場所を明らかにすることを拒んだので、涸れ井戸の中に吊されるという拷問を受け、7日目についに白状します。それによるとヴェヌス神殿に、キリストが磔にされたゴルゴダの丘の3本の十字架が隠されている、ということでした。

7.ヘレナ(聖十字架の発見)
 ユダの白状通り、ゴルゴダの丘からは3本の十字架が発見されましたが、キリストと一緒に2人の罪人が十字架に架けられているので、どれが実際にキリストが磔にされた十字架なのかわかりません。
 ちょうどその時、死んだ若者の葬列が通りかかったので、掘り出された3本の十字架を順番に死者の上にかざしてみました。1番目、2番目では何も起こらなかったのですが、3番目の十字架をかざすと死者はたちまちよみがえり、ヘレナは真の十字架を判別できたのです。

8.ヘラクリウス対ホスローの戦闘
 さらにそれから300年がたちました。614年にササン朝ペルシア王のホスロー2世がエルサレムを攻めた時に、聖十字架の一部を奪い去るという事件が起こりました。自分が神として崇められたいと思っていたホスローは、神殿の玉座の上で右手には聖十字架、左手には雄鶏を聖霊として飾って神のごとく振る舞ったのです。
 628年、東ローマ帝国皇帝ヘラクリウスはホスローを攻め、聖十字架を奪還しました。皇帝ヘラクリウスはホスローにキリスト教徒へ改宗するなら命を助けると申し出ましたが、ホスローはそれに応じなかったので、首をはねられました。

9.ヘラクリウスのエルサレム入城(救済の十字架)
 皇帝ヘラクリウスは勝利を勝ち誇り、聖十字架を返還すべく、飾り立てた愛馬に乗って意気揚々とエルサレムに入城しようとします。すると城門の石が崩れ落ち、行く手を阻んだのです。
 城門の上に天使が現れ、「主キリストは、かつてこの門を通って受難の場所に赴かれる時、つつましくロバに乗り、きらびやかな衣装は身にまとっていませんでした」と語って姿を消します。
 皇帝は靴を脱ぎ、肌着以外の栄華を示すものをいっさい脱ぎ捨てて聖十字架を高く掲げました。すると崩れた城門はもとに戻り、エルサレムの市民達が皇帝一行を歓迎しました。

10.マリアへの受胎告知
 これは直接は「聖十字架伝説」の筋には関係がないように思われますが、聖母マリアにヘレナをオーバーラップさせて「ヘレナへの啓示」の場面に読ませようとしている、とも解釈できます。
 また、旧約世界の原罪に関わる木の枝から、新約世界に救済の象徴として現れる聖十字架への橋渡しの役を、神の子イエス・キリストが担っているのだということを、キリスト自身を直接描くことなしに「受胎告知」の場面で暗示しているとも考えられます。

 なんと壮大な物語なのでしょう。アダム、シバの女王、コンスタンティヌスなどの有名人が目白押し。しかも肝心の聖十字架の隠し場所を知っていた男がユダという名前とは、あまりにできすぎですね。
 中世では人類誕生、つまりアダムから約5000年後にキリストの受難があったと考えられていたというのですから、人類の歴史6000年弱の時代をカバーしていることになります。
 この後聖十字架のかけらは磔にされたキリストの脇腹を刺したロンギヌスの矢などと同様、ヨーロッパ各地で聖遺物としてキリスト教徒の礼拝の対象となっています。

 アレッツォのピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画はまだ見ていません。そのため文章だけの項になってしまいましたが、実物を見に行った折りには必ず画像を入れようと思いますので、乞うご期待!

 

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