ちゃおちゃお的美術講座


「キリストの磔」
 イエスはまもなくイスラエル人たちによって捉えられ、ローマの総督のもとに罪人として突き出されます。罪状は「この者はユダヤの王を騙った。」ローマ総督のピラトは困ってしまいます。彼はイエスに別に恨みはないので赦免しようとしますが、イスラエル人たちが許しません。結局ごり押しでイエスは十字架にかけられることに決まってしまうのです。

 イエスが十字架にかけられた場所は「ゴルゴダの丘」。ゴルゴダとは骸骨という意味です。
 この丘は最初の人間アダムの墓の上にあるとされています。これはとても深い意味があるのです。
 絵画でキリストの十字架の下に骸骨が置いてあるものを見ることがありますが、骸骨の意味するものは当然、「死」です。

 かつて、イエスは説教を行っているときは万能でした。彼は自分の運命を予知することもできました。しかし、今回はこの苦難を避けることなく、従容として受け入れます。何故でしょう。
 実はキリストが磔になった事実こそが、キリスト教にとって最も重要なことなのです。

  旧約聖書では人間は神を裏切ってエデンの園を追い出されます。以来人間は基本的に神に対する「罪人」であり、神の律法を守り盲目的に追従して生きるしか許されない存在でした。キリスト教では、イエスが十字架の上で血を流し、死ぬことによって、神と人間との間に新たな「契約」が結ばれたと唱えるのです。それが新しい契約すなわち「新約」なのです。
 この時点でアダムとイブの犯した最初の罪「原罪」はやっと帳消しになりました。
 キリスト教はここからスタートするのです。だからゴルゴダの丘が「原罪」を犯したアダムの墓の上であることが必要だったのです。

 さて、イエスとともに二人の罪人が磔にあいます。絵的に向かって左の罪人ははりつけられながらもイエスへの帰依を口にし、右側の罪人はイエスをののしります。結果、左の罪人は天国行き、右は地獄行きとなります。さまざまな「キリストの磔」の中に、左側の罪人には天使が群がり、右側の罪人には悪魔が群がっているものを見ることができますが、これはそう言う訳があるからなのです。

 さらに余談です。イエスは十字架にかけられて数時間で死んでしまいます。十字架刑というものは通常数日間苦しんで死ぬものらしいのでこれは随分早い死だと思われます。
  研究によると「恐らく手を上に長時間上げさせられていることによる呼吸困難による衰弱が死をはやめたのであろう」ということでした。

いろんなことを研究する人がいるのですねえ。

 

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