ちゃおちゃお的美術講座


聖母子
 フィレンツェにはほんとに多くの聖母像があります。街ごとマリア様に献上されているかのごとき観さえあります。

 聖母の絵では多くが膝の上に幼子イエスを抱いています。このような聖母子像は、中世〜ルネサンスを通じてずっと描かれ続け、愛され続けてきたモチーフなのです。

 その中に「荘厳の聖母」と称されるスタイルがあります。これは比較的古くから描かれていたスタイルで、背景には金がふんだんに使われているので、とても目立ちます。この絵は天における聖母の威厳をあらわすもので、そのためかマリアも背筋を伸ばし、きりっとした顔で描かれます。

 ウフィッツィ美術館の第2室にはチマブエ、ドウッチョ、マサッチョの手によるすこしずつ年代の異なる3枚の荘厳の聖母が並べられており、必見です。
 どの絵のマリアもきりっとしていますが、チマブエは少しビザンチン風の聖母で、やはりルネサンス期に近いマサッチョのマリアのほうが、人間的な表情をもち、(英語のガイドブックによると)「グラマー」に描かれています。
 
 聖母子といっしょに多くの人が描かれた絵もあります。その多くは天使だったり、聖人だったり、はたまたその絵のパトロンだったりして、なんかマリア様との記念撮影のようでもあります。

 ルネサンス期には身近な感じのする聖母子像がたくさん描かれました。フィリッポ・リッピやラファエロの作品はその代表的存在です。
 ここではマリアはもう手の届かない存在ではなく、むしろ普通の(もちろん美人ですが)町娘のように描かれています。膝のイエスや、脇の天使たちがいなければ、もうマリアとはわからないかもしれません。

さて、これらのルネサンス期の聖母子像に関してこんな話を聞いたことがあります。

 曰く「マリアはやさしくイエスを見つめているが、その目はどこかさびしげで、悲しそうですらある。それは、今抱いている幼子が、やがて人類の救世主として十字架にかけられて死ぬということを、すでに知らされているかのようである。」
 
うーん...そういえば聖母子像でうれしそうなマリア様ってあまり見ないなあ。

 
聖家族
 聖母子に聖ヨセフが加わると「聖家族」の絵となります。こちらは聖母子ほどは多くありません。
 面白いのは、マリアの夫であるヨセフの描き方です。絵の中では、マリアにあわせてヨセフを美貌の若者に描くわけにはいきません。なにせマリアはこの後、生涯純潔をつらぬくのですから、あまりを感じさせる精力的旦那さんが横にいるのは、絵的にまずいと思われたようです。

 そこでヨセフは、とても女には手を出せそうに無い老人として表現されることが多いです。(ひょっとすると聖書のどこかに老人と書いてあるのかもしれませんが、 あ、でもルーブルで見た「大工の聖ヨセフ」という絵ではそれなりの若い人に描かれていました。)(追注;外典にヨセフは”男やもめ”という記述があるそうです。)
 
 そして彼は聖母子の「保護者」というような地位をあたえられます。

 とは言うものの、彼に対する大衆の率直な評価は結構からかったようです。ちゃおちゃおの読んだ本では、昔のヨーロッパの川柳のような物の中でも「寝取られ男」などと揶揄されているのです。(最近のアメリカンジョーク集でも似たような内容のものがありました。)

 でも、彼は自分の使命を果たしたのだと思います。そして正しい人でした。ヨセフの保護の元にイエスは救世主への道を歩むのです。
彼はダビデの子孫でした。「ダビデの家系からメシアが出る」という旧約聖書の予言は、彼の存在によって成就しているのです。
 

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