ちゃおちゃお的美術講座


「聖人様」
 別の項でも書いているように、キリスト教は神の父の存在すら認めない絶対的一神教です。しかし、その最大の受け入れ先であったローマ帝国の人々は先祖代々多神教を奉じてきました。特に地中海沿岸ではギリシャやローマの神々を敬い、四季折々の様々な行事を楽しんでいたといいます。
 そこをキリスト教が制覇しても人々の嗜好はそう簡単に変えることはできませんでした。
 そこで生まれてくるのが、「聖人」という存在です。聖人は本来キリスト教の布教に特に功績のあった人間を称賛してつけられた称号でしたが、いつの間にか土地土地の守護神、健康、商売の守り神のような扱われ方をされるようになります。ヴェネツィアと聖マルコの関係を見ればよくわかるように、聖人の遺骸を持ってきて(盗んできて)教会でも奉じれば、守護神の一丁上がりというわけです。
 中世には有識の僧が死ぬと近隣のものが遺骸を奪いにやってくるため、仲間の僧侶達がその死体を鍋で煮てみんなで分けた、というような信じられない話も伝わっています。仏教なんて平和なもんですよね。
 13世紀のジェノバの大司教が書いた「黄金伝説」という聖人伝集は各地で熱狂的に読まれました。聖人って人気があるのです。ここでちょっと何人かを紹介してみようと思います。

聖セバスチアヌス 
 この人を知らなくても、絵を見たことがある方は多いと思います。ふんどし一つの美青年が後ろ手に縛られ、全身を矢で射抜かれてもだえ苦しんでいる絵、そう、これが聖セバスチアヌスです。子供の頃彼の絵を見て心の底から「痛そう」と思ったことを忘れられません。
 さて、このマゾ画のような絵の主人公は、ローマ帝国でもっともキリスト教迫害の激しかったディオクレチアヌス帝のころのローマ貴族です。彼は隠れキリスト教のローマ兵士でしたが密告されて捕まり、絵のように矢で処刑されます。ところが処刑の後、葬りに来た信者の女性が彼がまだ生きていることに気がつきます。女性は彼をかくまって看病した結果セバスチアヌスは全快してしまうのです。(なーーんだ)
 その後再び皇帝の前に現れキリストの教えを説いた彼を、皇帝は今度は棍棒で撲殺させ(これも痛そう)、死体を下水道に投げ捨てさせます。死体はその後信者達に発見され、カタコンベに葬られました。
 二度も死刑になった彼は死刑囚の守り神として崇められました、−というのは嘘です。
 本当は病気からの守護神として民衆から崇められるようになったそうです。何故でしょう。昔はペストなどの疫病に罹るのは「アポロの矢」によって射られたためと信じられていました。矢に射られても死ななかったセバスチアヌスは守護神として格好の存在だったのです。
 

聖フランチェスコ 
 昔のことですが、「ブラザーサン・シスタームーン」という映画がありました。この映画は若き頃のアッシジのフランチェスコを描いたものです。うろ覚えの記憶ですが彼は裕福な商人の家に生まれ、十字軍に行って病にぶっ倒れ、そこで神の啓示を得て人類愛に目覚めるというような設定だったと思います。聖キアラは彼のガールフレンドでしたが、とてもかわいかったですねえ。
 彼は文字通りすべてを捨てて素っ裸で荒野にくだり、ぼろの服をまとい小さな聖堂を建て祈りと修道の生活を始めます。一種の世捨て人ですね。ところが彼のピュアな精神に惹かれ、やがて比較的裕福な家庭の若者達が次々と彼の元に集まり、一種の教団を結成するのです。彼は鳥や空や月、生きとし生けるものも、生きていないものも等しく愛した聖人でした。すべては神の被造物であり、兄弟と言うのです。「小鳥に説教する聖フランチェスコ」なんて絵も残っています。なーるほど、だからブラザーサン・シスタームーンなのですね。
 聖フランチェスコの奇跡としては聖痕があげられます。夢の幻の中で彼はキリストを見ました。そして目を覚ますとキリストが十字架で受けた傷と同じ位置に傷を受けていたのです。彼はこの聖痕を受けた最初の聖人でした。
 彼の興した教団はやがてフランチェスコ会としてキリスト教世界の中で重要な役割を果たすのです。
 さて、ブラザーサン・シスタームーンですが、主題歌も結構はやったのですよ。しかも日本語版まであったんです。 ブーラーザサーン♪ シスタームーン♪ か〜ぎりない愛の世界♪・・・


 さて現在も聖人は生まれ続けています。非常に功績のあったキリスト者を聖人として認定(列聖)しているのはバチカンですが、選定に当たって大切な基準があるそうです。
曰く 「生涯において奇跡を起こしていること」。 なるほど。

(この項はあまりに大変なため、ここまで。また別の機会に追加するかも。)

 

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