ちゃおちゃお的美術講座


「 聖母戴冠」
  年月が過ぎ、年老いたマリアも昇天します。ちゃおちゃお的凡人レベルの判断によれば、苦労の多い薄倖の人生でした。神の子を産む宿命を押し付けられ、しかもその子には30歳そこそこで先立たれ、晩年はさぞ心さびしかったでしょう。
 これではマリア様があまりにかわいそう、なんとかしてあげたい、、と願う信者も多かったでしょう。その声が届いたのかどうかわかりませんが、後日談が用意されています。
 それはマリアは肉体のまま天に上り、キリストから「天の女王」として戴冠されるというものです。

 そもそも聖書の本編でイエスはぜんぜん親孝行らしいことをしていないのです。むしろマリアのことを「女よ」などと呼び捨てにし、重きをおいている節すらありませんでした。それが死後、突然こんなすごいお礼をするのですから、やるもんですね。

 これが祭壇画などに極めて多く見ることのできる「聖母戴冠」です。
 この絵では、マリアはそれまでの質素な装いではなく、思い切り立派な女王にふさわしい衣装を着て、キリストから恭しく冠をかぶせてもらいます。年齢もずいぶん若返っています。また背景に金色を多用し、聖人や義人、天使達がたちが周りを取り囲み、精一杯の喜びを表現しています。これ以上無いというくらいの喜びと荘厳さをなんとかして絵にしたいという情熱が伝わってきます。

 人間のマリアが急に天の女王になって、他の天使達から意地悪されないのかしらなどという、どこぞの皇室のような心配も無用のようです。

 そしてマリアは晴れて庶民の祈りの対象となります。ただし、キリスト教は一神教ですから「女神」として拝むわけにはいきません。そこで「厳しい神様」へのとりなし役としてお願いをするのです。うまく考えたものですよね。やさしいマリア様の存在というのは、布教を進める上でも、とても有効だったそうです。
マリアの存在というのは一般信者にとってキリストと同じくらい、場合によってはキリスト以上に重要になっていたのかもしれませんね。

 

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