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とっても短いドイツ史

(by 晋衛門さん)

 神聖ローマ帝国の内情は滅茶苦茶ですからねぇ(^_^;)。ご納得して頂けるか分かりませんがとにかく書いてみます。

 古代から中世は一応神聖ローマ帝国でまとまってますが、数百の貴族領や自治権をもつ自由都市を内部にかかえた連邦国家でした。ザクセン公ハインリヒ1世の息子オットー1世が962年に教皇の手によってカロリングの伝統を継承する形で神聖ローマ帝国が成立して、ドイツ皇帝の地位も確保しました。以後ザクセン・ザリエル・シュタウフェン・ヴェルフェン・ヴィステルバッハ・ルクセンブルク・ハプスブルク等色々な一族がこの皇帝位を巡って争いを繰り広げます。

 この神聖ローマ帝国、カノッサの屈辱に代表される叙任権闘争で一度動揺しながらなんとか体制を維持していましたがシュタウフェン家が断絶して大空位時代を迎えます。これ以後マインツ、ケルン、トリアの三人の大司教とライン宮中伯、ザクセン大公、ブランデンブルグ辺境伯、ボヘミア(チェコ)王の七選定候による選挙制度が定着します。ルクセンブルク家に替わって皇帝位を以降独占したハプスブルク家の支配が1806年のフランツ2世退位による帝国の法的消滅まで続きます。 さて、主な王国の流れをとの事なんですが、私は十八・九世紀あたりでしかも国名やら首都くらいしかよくわからないです。

 まずプロイセン、プロシアとも呼ばれるこの国は十七世紀までブランデンブルグ地方の一地域に過ぎませんでしたが、三十年戦争以後プロテスタント国として信望を集め、ホーエンツォレルン家支配の強大な王国になっていきます。有名なフリードリヒ二世大王が軍隊を整備し、その百年後のウィルヘルム1世とビスマルクの時代にはプロイセン主導のドイツ統一に成功します。首都はベルリンです。

 次にバイエルン、ここはヴィステルバッハ家の支配でシシィことエリザベートの出身地である事とルードヴィヒ2世の事くらいしか・・・・首都ミュンヘンはヒトラーら初期ナチスの一揆の舞台になった所です。
 ザクセン公国、首都はドレスデン(前は大嘘ついてすいません)で上記の通りかつての選定候の一人が治めたところ。 ニーダーザクセン(ハノーファー)公国、この名前ですぐわかる方もいるでしょうが、現在の英国ウィンザー家の元になったハノーファー家ジョージ1世を出したところです。首都の名前も同じです。
 ―という感じでどうでしょうか(汗)?

(ちゃおちゃお的感想)
 晋衛門さん。大作、本当にありがとうございます。それにしても辺境伯という肩書きが私はどうしても気になってしまうのですが...伯爵というのはありがたいけど、「辺境」は余計ですよねえ。
 晋衛門さんの重ね重ねの解説をいただくうちに、と東欧系にも興味がわいてきたような・・・。

 

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