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高貴なる騎士・オイゲンの伝説

(by 晋衛門さん)

 ベルヴェデーレ宮殿はオイゲン公の夏の離宮です。
 そのオイゲンの功績について。
 ソワソン公爵とオランプ・マンチーニの子供として生まれた彼は、父の死とともにフランス宮廷で軍人になることを志願しましたが、ルイ14世に疎まれ、僧職に入れられそうになったので逃亡を決意。
 よりにもよってフランスの宿敵オーストリアで軍人として仕官し、トルコ戦などで功績を挙げ、出世し、オーストリアの影の国王とまで呼ばれる存在になります。
 また文化人たちのよきパトロンともなってオーストリアに多大な貢献をし、マリア・テレジアに政権をしっかりと渡したのを見届けた老オイゲンは大往生を遂げました。

 そういうプリンツ・オイゲンの愉快な伝説の数例を。
 まずオイゲンオカマ疑惑。
 実際彼は性格的に女性的な部分があったらしく、彼が身につけたという女性用下着などが残されてます。また男らしい男との交流を喜び、彼らの我侭や激情を受けとめてあげようという心の持ち主でもあったみたいです。精神的同性愛の傾向が目立つ、といったところでしょうか。
 聞いた話ではフランス宮廷時代にヴァンドーム公から同性愛の道に誘われたという話もあ
るそうです。
 次にオイゲン渾名伝説。
 マドモアゼル・ソワソンというのはまだ可愛い方で、オイゲンはフランス兵たちから様々な蔑称で呼ばれてました。オルレアン公妃リーゼロッテ・フォン・プファルツの書簡によると「プティ・サロープ(小さい騎兵)」「マダム・ランシエンヌ(槍騎兵夫人、ランシエンヌはランシエ(槍騎兵)の女性形の造語)」など色々言われてます。
 彼は背が小さかったため、それで女性のように小柄だとからかわれたのです。しかも鼻の穴が上向きであまり見栄えのいい男でなかったので、そこでもからかわれました。これは彼自身コンプレックスだったようで自分をアポロンに模した絵などを描かせたりして、コンプレックスを埋めようとしてます。

 こういった伝説が様々にありますが、オイゲン公はオーストリアの数々の英雄の中でも別格の存在であります。

(ちゃおちゃお的感想)

 ウィーンのベルヴェデーレ宮の話題から発展して、オイゲン公のお話を晋衛門さんに伺いました。
 こんなに偉大な公だったのに、女性物の下着を愛用していたとは・・・。
 歴史はなかなか表面に出てこない部分を知ってこそ、興味が広がるものですね。教科書や年表を丸暗記する科目だとしか思っていない高校生諸君がお気の毒です。

 

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