(by 晋衛門さん) ポンメルン公家といったらカルマル連合初代国王エーリク・ア・ポンメルンの名が真っ先に思い浮かびます。結局デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの利害対立で廃位させられましたが。
エーリク・ア・ポンメルンは非常に運のよい男です。ノルウェー王妃だったマルガレーテがデンマークとノルウェーの王位継承者指名権を持っていて、彼女の姉インゲボーとメックレンブルクのハインリヒの孫である彼は継承者の指名を受けて、まずノルウェー王として早速承認を受けたのです。
本来なら北東ドイツ・ポンメルンの小領主で終わるはずだったエーリクが、カルマル連合初代君主として北欧史に登場したのです。
ですが、その前にスウェーデンで支持を受けていた同じメクレンブルク出身のアルブレクトが立ちはだかります。二人はスウェーデン南部で実際に兵を動かして戦い、アルブレクトを捕虜にしてエーリク側が勝利し、改めてノルウェー、スウェーデン、デンマークの三国の連合君主として即位したのです。
しかしこの連合はデンマーク優位な上、エーリクはスウェーデンなどで重税などの政策で反感を買われ、スウェーデンでは連合からの独立運動が開始されます。
それを達成したのが、グスタフ・ヴァーサであり、ヴァーサ朝の初代国王となるのです。
―とか書いておいて何ですが私も北欧史はあんまり知りませんです。グスタフ・アドルフ2世が好きなもので、それ中心に調べたときのうろ覚えでございます。間違いがあったら指摘してやってくださいね。
(ちゃおちゃお的感想)
晋衛門さんは東欧史、北欧史など実に広域に渡る守備範囲をお持ちで、ひたすら感服するばかりです。
歴史のことでちょっとした疑問が生じたら、是非晋衛門さんのお教えを乞いたいと思います。
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