フィレンツェ人物伝


ボッカチオ

 1313年フィレンツェに生まれた。商人の子として育ったが文学への情熱さめやらず、ダンテのベアトリーチェに倣ってナポリでフィアンメッタという女性に愛を捧げ、せっせと詩作をおこなった。ダンテとの違いは、フィアンメッタが淑女でなく、愛が成就してしまったことである。ただ情熱的な愛の後によくあることであるが、あっという間に喧嘩別れとなった。失意のうちにフィレンツェに戻った彼は当時流行していたフィレンツェ散文に興味をうつし、小説のようなものを書き始めた。

 こうして不朽の名作と呼ばれる「デカメロン」が生まれる。時に1348年。イタリア、フランスは恐るべきペスト渦に打ちのめされていた。黒死病と呼ばれ恐れられたこの病気は、幾度もヨーロッパを襲い、信じられないほどの惨渦をもたらした。イタリアは人口の1/3近くを失ったという。怖かったでしょうねぇ。理由が全然わからないまま人がどんどん死んでゆくんですから。しかもそれがうつることはわかってる。当時人々はまさに「天罰」と思ったであろう。

 話はペスト禍のさなかのフィレンツェはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会前から始まる。ここで7人の美女が来合わせた3人の青年と意気投合し、ペストの来ない清浄な田舎に逃げ出そうと相談がまとまる。そこで1日1人が暇つぶしに話をすれば10日で100の話ができることになる。
 10人が10日で100の話。このようにデカメロンは10づくしの構成をとっている。ここらはダンテの「神曲」が3づくしだったのとよく似ている。すなわち、中世風なのである。
 ただその中身はとても斬新だそうである。場合によっては卑猥で低俗になるが、じつに生き生きとした筆の運びで当時の世風を描ききっている。日本では卑猥な物語の部分ばかりが強調され、デカメロンといえばエロ小説という風にうけとっている人間がいるがそれはこの話に対する偏見といえよう。(ちゃおちゃおは昔読んだが、、確かにエロ坊主がやたら沢山出てきたっけ。)

 ボッカチオ自身は後にこの小説を書いたことを恥じ、襟を正していかめしく高尚っぽい本を書こうと精を出したが、結局デカメロン以上のものは書けなかった。人生はままならないもの。
 老後は幻滅して暮らしていたがダンテに対する礼賛の心だけは失わず、「神曲註解」や「ダンテ礼賛」などの著作を残している。またフィレンツェ市に働きかけ、ダンテ研究講座を開かせ彼自身が講師を務めた。誠実な人らしい。

 デカメロンはいま古本屋でしか手に入らない。本当にエロ小説と思われたわけではないだろうが、なぜか絶版なのである。ちゃおちゃおの手元に残っているのは往年の「少年少女文学全集」に載っているデカメロンと、今夜WOWOWで放送する映画「デカメロン」のビデオである。
・・・が映画はやっぱり「R指定」なのである。

 

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