フィレンツェ人物伝


ギベルティ
 
 幼い頃から金工や鋳造の修行を積んでいたロレンツォ・ギベルティは、1401年のサン・ジョヴァンニ洗礼堂の第2門扉のコンクールの結果、ブルネッレスキと共に一位に選ばれた。当初は、二人の共同作業とすることが決められたが、ブルネッレスキが共作を辞退したため門扉の制作はギベルティ一人に委ねられることになった。しかし、のちにギベルティはその回想録「芸術論覚書(コンメンタリ)」の中で「栄誉は満場一致で私に与えられ、いかなる異議もなかった。」と堂々と述べている。これはブルネッレスキへの激しいライバル意識にかられ、事実をしゃあしゃあと歪めたものである。

 とは言え、ギベルティの作風は、簡潔ながら要を得た物語構成力、人物や衣襞の肉付けと流麗なリズム感、絵画的処理、細部の入念な写実主義、そして古代彫刻の見事な消化に特徴がある。これはアンドレア・ピサーノの伝統と当時流行の国際ゴシック様式、そして新しいリアリズムを完璧に総合している。

 第2門扉は、70年ほど前にアンドレア・ピサーノによって制作された旧約聖書のエピソードを表した第1門扉と同じ型の四葉菱形の28枚のパネルに、「受胎告知」から「聖霊降臨」までの新約聖書の20の場面と、4人の福音書記者像及び4人の教会博士像を見事に表している。

 この第2門扉の完成によって市民達の絶賛を得たギベルティは、ただちに同じ羅紗製造同業組合から洗礼堂の第3門扉の制作を委嘱された。今度はアンドレア・ピサーノの第1門扉の型にとらわれることなく、「最も完璧で最も美しく華麗に仕上がると思えるどんなやり方で制作してもよい」(「芸術論覚書」)という条件であったので、10枚の正方形の大型パネルに旧約聖書のエピソードを描いた。自分の自刻像もしっかりとはめこまれている。

 制作開始から完成まで実に25年近くの歳月を要したが、完成後はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の正面入り口と相対する場所に設置された。完全に鍍金された門扉が洗礼堂に収まったときの人々の絶賛は、のちにミケランジェロが「天国の門にふさわしい」と称えた言葉からも容易に想像できる。まさにギベルティ芸術の頂点と言えよう。

 ギベルティは第2門扉の制作中に、オルサンミケーレ聖堂の外壁を飾る羅紗製造業組合のための「洗礼者ヨハネ」、銀行組合のための「聖マタイ」、羊毛組合のための「聖ステファノ」という守護聖人像も制作している。洗礼堂の2枚の門扉と3体の立像の制作にちょうど半世紀を費やしたが、彼の彫刻家としての名声は当代比類なきものとなる。

 そしてギベルティの工房は、15世紀前半の最大の金工・彫刻工房として、次代の芸術家の一大養成所となった。そこで働いていたのは、ざっと名前を挙げるだけでも、ドナテッロ、ミケロッツォ、ポライウォーロ、ウッチェッロ、ゴッツォリなど、一流どころがゾロゾロいる。

 現在、サン・ジョバンニ洗礼堂に収められている「天国の門」は模刻であり、本物はドォーモ付属美術館にある。しかし、最近テレビ番組でちらっと見たところによると、どうやら大規模な修復に入っているらしい。
(註:2000年12月現在、開館中との情報をいただきました。)

 この人は結構順風満帆な人生を送った美術家の見本である。それだけに彼の人生は面白味に欠け、教訓も少ないのである。

 

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