フィレンツェ人物伝


ギルランダイオ

 ドメニコ・ギルランダイオは1449年、金銀細工師の子としてフィレンツェに生まれた。この時代の偉大な画家によくあるように、当初は父親のもとで金銀細工を学んだが、やがて画家に転向する。
 彼が画家として最初に注目を集めるきっかけとなった壁画はサンタ・クローチェ教会の中にあったようだが、残念ながら現存しない。しかし、初期の作品のうちの一つであるオニサンティ聖堂内のヴェスプッチ礼拝堂の壁画「慈愛の聖母」などからは、ドメニコ・ヴェネツィアーノやアンドレア・カスターニョなどの画家たち、そして写実を得意とするフランドル絵画の影響が認められる。

 1473年〜1475年にかけては、サン・ジミニャーノ大聖堂のサンタ・フィーナ礼拝堂に聖女フィーナの物語を描き、ついでローマのヴァチカン図書館で壁画制作をするなど、トントン拍子に実力を認められ、次々に作品を制作していく。
 オニサンティ聖堂ではサンドロ・ボッティチェッリの「書斎の聖アウグスティヌス」との競作で「書斎の聖ヒエロニムス」を描く。これらの両作品は現在、同聖堂内で向かい合って展示されており、二人の画家の特徴を比較して観ることができ、興味深い。人物の内面を表す表情の深さや男性的な表現などではボッティチェッリの聖アウグスティヌスには一歩譲っている感は否めないが、聖ヒエロニムスの机の周りのさまざまな品々の写実的表現からは、ギルランダイオの才能が確かなものとうかがえる。

 その後、法皇シクストゥス4世に招聘されてヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の両壁の窓の下に壁画の連作を描く。システィーナ礼拝堂といえばミケランジェロの天井画と壁画につい目を奪われがちだが、ボッティチェッリ、ペルジーノらとともに携わったこの壁画制作は、1480年代初頭のイタリアにおいては最も重要な仕事であった。

 1482年にフィレンツェに戻ったギルランダイオは、フィレンツェ政庁からの依頼のヴェッキオ宮の百合の間の装飾、サンタ・トリニタ聖堂内サセッティ礼拝堂の「聖フランチェスコの生涯」の壁画と「キリスト降誕」の祭壇画、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会内陣の連作壁画、捨て子養育院の「東方三博士の礼拝」などなど、休む間もなく重要な壁画や多数の板絵を制作した。
 壁画制作と並行して祭壇画の制作から燭台の塗装といった細かい仕事まで、さまざまな注文を引き受けていた事実は、ギルランダイオの芸術家としての高い評判を示すとともに、かなり大規模な工房を持ち、工房全体で仕事をこなしていたことが想像される。若き日のミケランジェロもギルランダイオの工房に弟子入りしている。

 ギルランダイオは1494年にペストによって亡くなった。遺体はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に埋葬された。

 このようにトントン拍子に世の中に認められ、次々に重要な制作依頼を受け、たくさんの作品を残したギルランダイオの生涯については特筆すべきエピソードはほとんどなく、芸術家として実に順風満帆な人生を送っている。はっきり言って「フィレンツェ人物伝」に取り上げるにはちょっと面白みがないくらいである。
 それではなぜわざわざこの「人物伝」に取り上げたのか、と疑問のむきもいらっしゃることと思う。それは実に単純にして個人的な理由にすぎない。つまり私、ちゃおちゃおがギルランダイオの作品が好きだからだ。
 なぁんだ、と思われた皆様には申し訳ない。しかしどうして私がギルランダイオの作品を気に入っているのかを少々述べることを許されたい。

 確かに天使や聖母マリアの聖なる雰囲気ではフラ・アンジェリコが一番であるし、ボッティチェッリのメランコリックなヴィーナスや聖母には強烈に人を引きつける魅力がある。もちろんラファエッロやレオナルド、ミケランジェロの作品のすばらしさは、今さら私が言うまでもない。

 ギルランダイオはルネッサンス期の画家としては日本ではそれほど有名とは言えないが、フィレンツェの教会や美術館をめぐっていて、実にたくさんの彼の作品に行き当たった。そして2,3の作品を観たあとなら「あ、これはギルランダイオだ」とすぐに判別できるようになった。つまり美術にはシロウトの私であってさえ、とても「わかりやすい」絵なのである。

 ギルランダイオが扱う主題は「最後の晩餐」や「キリスト降誕」「聖母マリアの生涯」「洗礼者ヨハネの生涯」など、宗教画である。しかし、それらの作品では本来は付随的なはずの背景に、当時のフィレンツェの街の様子や主だった人々、上流階級の日常の暮らしぶりが描かれている。
 制作当時の街の情景や有力者の姿を描きこむことは特に新しいことではなく、多数の画家がすでに行っている。しかし、ギルランダイオの場合は宗教的主題はほとんど口実にすぎず、当時のフィレンツェ文化を代表する人々を描き出したことに大きな特徴がある。つまり宗教画の形を借りて、巧みな写実表現を駆使してフィレンツェ上流階級の集団肖像画を描いたのである。

 シロウトにして異教徒でもある一東洋人の私ですら「おお、なんとわかりやすいことか」と感じる親しみやすさ、そして15世紀のフィレンツェの風俗が手に取るように観ることができるという、まさに「宗教的風俗画」であることがギルランダイオの作品の特徴であり、そこが私が彼の作品に惹かれる原因なのかもしれない。
 そしてこのようなギルランダイオの作品を今でもフィレンツェで多数鑑賞できるということは、彼の作風が当時の人々にも実際に受け入れられたということを明確に示しているのではないかと思うのである。

 

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