サンタ・クローチェ教会附属美術館


 

 

サンタ・クローチェ教会の正面右手の中庭の奥に、ブルネレスキが建設したパッツィ家礼拝堂があります。
パッツィ家といえば若きロレンツォ(豪華王)と弟ジュリアーノのメディチ兄弟の暗殺を謀って、お家取り潰しの憂き目を見た一族です。(ジュリアーノは死亡、ロレンツォはからくも逃れました。)
     
ここは礼拝堂に行くまでの通路なのですが、埋葬所です。両側の壁はもちろん、床にもびっしりとお墓が・・・。踏まずによけて通ることは不可能です。

サンタ・クローチェ教会内のものより新しく、大体1800年代のものが多かったようです。しかし新しい分生々しく、この中一つ一つに遺体が入っているのかと思うと、一人では決して歩きたくない所です。

     

これがパッツィ家礼拝堂の内部です。
中は簡素で、白い壁面の上部を飾る彩色テラコッタは、ルカ・デッラ・ロッビアの作。

     

建設はブルネレスキの生前には完成せず、死後15年経ったあとに出来上がりました。

     

かつての修道院の食堂に整備されたのが、サンタ・クローチェ教会附属美術館です。

1966年11月の大洪水でフィレンツェの街は水浸しになってしまいましたが、中でもサンタ・クローチェ教会はアルノ川に最も近かったため、6m近く水没しました。
美術品や写本などの被害は甚大でした。
チマブーエの「十字架像」は修復不可能な欠損部分も多く、痛ましい姿です。

     
タッデオ・ガッティ作の「生命の樹」。

1350年頃の作品ですが、剥離してしまったため、パネル装にしたフレスコ画です。

     
サンタ・クローチェ教会は、歴史上の有名人のお墓がたくさんあるため観光客も大勢いますが、すぐ隣のここまで入ってくる人はほとんどいません。緑の芝生の庭の向こうのパッツィ家礼拝堂はひっそりと静まりかえり、附属美術館も落ち着いて見られます。
大洪水で大きな被害を受けたこの教会の修復に尽力した、当時のフィレンツェ市長の肖像画が飾られていたのは、教会側の感謝の気持ちのあらわれなのでしょう。